エルサルバドルからのエスペランティスト

Kie estas Salvadoro? En Bahamaj Insuloj, Centra Ameriko.
エルサルバドルはどこにありますか? 中米のバハマ諸島にあります。

先月、中国、四国地方のエスペランティストが集まってオンラインでのお話会がありました。千葉県住まいの私も他の県からでも欧州のドイツからも参加者がありました。その日のお客様は、エルサルバドルから徳島教育大学に来ている留学生でした。 
彼は国家公務員で、教育視察で以前徳島県や筑波大学を訪れていました。その後コロナ禍で
海外渡航ができない時期が続き、その時ネットで、Duolingo (無料の語学学習サイト)を使って、エスペラントを学びました。そう言えば5年ほど前「Duolingo でエスペラントを学んだスペイン人が70万人を超えた」というニュースがエスペランティストの間で飛び交いました。
今回またJICAの留学生として日本に来て、多くのエスペランティストと出会い、会話をしたいと願っているそうです。母国語はスペイン語で、エスペラントには似たような単語があるので、話しやすいのかもしれません。初めはおぼつかなそうだったのが、いろいろな質問に答えているうちに、どんどん上手くなっていくのには、驚きました。話したいという気持ちと、度胸もあるのでしょうね。
彼の母国エルサルバドル紹介では、通貨がUSドルとビットコイン、と聞いてこれも驚き。
日本の教育視察では、学校に教職員室があって、教員同志の情報や意見交換がよく行われていることに感心していました。母国の教員は自分のクラスが終わるとさっさと帰ってしまう、と言ってました。



間借り文化祭

 私たちのホーム集会所である船橋市東部公民館は現在改修工事中です。私たちはその間別の公民館を借りて例会を開いています。例年文化祭に参加していますが、今年は無理かなと思っていたところ、なんと中央公民館を借りて開催できるように手配してくれました。

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2024年、アフリカで 第109回世界エスペラント大会開催

  エスペラントを話す人たちの集まりは、大小様々、世界各地でありますが、最大なのは、世界エスペラント大会。毎年7月末の1週間の大会に、3千人前後が集います。今年は、エスペラントの歴史でも初の、アフリカでの開催でした。場所はタンザニアのキリマンジャロ山麓の町、アルーシャ。66ヶ国から854人。日本からの参加者によると、アフリカの参加者には若者が多く、学習歴1年ほどでも臆さず話しかけてきて、その上達の速さには驚いたということでした。
私は、1997年、2001年とタンザニアに行って、現地のエスペラント・グループと交流しました。その後の彼らの発展には目を瞠る思いです。

La revizito al Berlino post pli ol 50 jaroj-2

interesa renkonto

Ĉifoja vizito donais al mi impresan renkonton kun interesa persono.

Tion mi hodiaŭ trovis. Mi trovis novaĵon pri libro kiu rakontas pri Germanio post la unuiĝo.

50余年後のベルリン再訪ー2

興味深い出会い

この度の訪問では面白い人との印象的な出会いに恵まれた、と今日私は発見しました。

「統一後のドイツ」について書かれた本の報せを見たからです。

ベルリンで私の宿になってくれたアンジェラさんとあれこれ話をしているうちに、彼女が旧東ドイツに生まれたこと、歴史ある有名なライプチッヒ大学を卒業したこと、25歳の時に、ベルリンの壁崩壊を経験したことがわかったのです。「壁崩壊の報せを聞いて、どう思った?」ときくと、「わあー!自由だ!、と叫んだ」と両手をひろげました。その彼女の経歴を聞いて、私は彼女に、日本にエスペラント講演旅行に来ないかと誘いをかけました。アジアにはまだ行っていないので行きたいとの返事でした。この訪問の後、メールでやり取りをして、講演のテーマなどこちらの希望や条件などを伝えました。彼女も具体的に自分の問題として検討して、「今年は行けない」との返事が来ました。来年の定年までは仕事で忙しく、またこれまでこのテーマ、「ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一について」他人に講演するなんて思ったこともないので、考えをまとめ、原稿を書くことに時間が必要だとのことでした。私は彼女の経験したことに興味を覚えて、多くの人たちに知ってほしいと、単純に彼女を誘ったのですが、

彼女にとっては、体験、経験などとくくれるものではなく、今生きている現実なのだ、ということを、今日発見して、深く感じ入りました。彼女は、「私の経験した。。」ではなく、「統一後のドイツー二つのドイツ」について話したいと言っています。

その本は、2023年発刊、ライプチッヒ大学のディルク・オシュマン教授著 「西ドイツがでっち上げた東ドイツ」

Lingvohelpilo

 EsperantoとMonatoのPDF版で文字を拡大して読んでいるが、最近ではそれでもすぐに目が霞んでくるようになった。幸い両者とも音声サービスがあるのでそれをスマホに入れて散歩の供にしている。Esperanto, marto 2024のp62に”Lingvohelpilo 2″の話があった。

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Revizito al Berlino post pli ol 50 jaroj

50余年後のベルリン再訪-1

Pasintjare, en 2023、 en novembro mi vojaĝis al Germanio. La celo estis vizito al miaj esperantistaj ges-roj en Karlsruhe. tamen mi volis vidi Berilon denove post pli ol 50 jaroj.

昨年2023年11月、ドイツへ出かけた。目的はカールスルーエ市在住のエスペランティスト夫妻を尋ねることだったが、50余年ぶりにベルリンを見たいと思った。

初めてベルリンを訪れた時は、初の海外旅行で、エスペラントも初級者で不安で一杯だった。それ以上に、当時の西ベルリンは旧東ドイツの中で周囲を壁に囲まれた異常な都市で、西ドイツからは飛行機でしか行き来できないところであった。その壁の崩壊を経て、東西ドイツ統一後のベルリンを見たかったのだ。

今回ベルリンでは、エスペランティストのための民泊制度である Pasporta Servo(パスポルタ・セルボ)で、無料で、ベルリン郊外に住むアンジェラさんのお宅に泊めてもらうことになった。アンジェラさんの勤め先の図書館で待ち合わせ、電車でお宅に向かうとき、面白い出来事が2件起きた。1件は電車の中でアンジェラと出くわした職場の同僚が、「本当にエスペラントで話してるのね!」と叫んだこと。もう1件は、座席で私とアンジェラがエスペラントで話しているのを聞いていた人が降り際に、アンジェラに「何語で話しているの?」と尋ね「エスペラントよ」との返事に「エスペラントってもう死んだのかと思っていたわ」と驚いたこと。その人は「世界の底知れなさ」に、仰天したことでしょう。死んだと思っていた言葉がもう140年近くも世界の人々に使われていたこと。それも西欧と東洋の人がべらべらしゃべって笑い合っているなんて!

一年に2000ページ読むこと

 今年始めにJEIで行った古本市で「宮本正男 作品集1~4」を入手しました。読むべきだと思っていても購入をためらう本というものがあります。これらもあの機会がなければ読まずに終わっただろうと思うと実に幸運でした。
 その4の中に表題の文がありました。出典は”La Movado” 133号 1962年3月とあります。エスペラントを1年に2000ページも読めるのだろうか?と思う人もいるでしょう。しかし、できます!

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私は悪くない

 10月21日と22日に川崎市で開かれた日本エスペラント大会に行ってきました。ホール、大会議室、小会議室、多目的室の4つの部屋でプログラムが並行して行われ、他にサロンでは図書販売が行われていました。会場の他にZOOMを使ってオンライン参加もできました。
 主としてホールの番組に参加しましたが2,3の分科会にも参加することができました。
 タイトルの言葉はトニー・ラズロさんの発言です。

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