LaVerdaKoro_037

テキスト

Ĉaptro 7: En Vladiostoko p47/13 – p48/lasta
  
–Ni dankas, sinjoro kapitano, sed ni estas nur dekdu.
— Ne grave! Sed vi ne restos tiom. Via grupo estos granda kaj ĝi havos multajn novajn membrojn….Sinjoro Vonago parolis al mi pri via bela propaganda mateno. La propagando devas havi monon. Akceptu tiun malgrandan sumon por via propaganda kaso.
Mi estas ne riĉa oficiro. Pli multe mi ne povas doni, sed tion mi donas bonkore.
Kuratov ne volas akcepti la mondonacon, sed kiam ankaŭ sinjoro Vonago kuraĝigis lin, li dankas en la nomo de la grupo al la kapitano pro lia boneco. 

Kapitano Oba jam ne povas forlasi la ŝipon kaj tial ĉe la vespera vagonaro sur la perono diras 《ĝis revido》-n nur sinjoroj Vonago kaj lia helpnotario, kiu transdonas grandan pakaĵon al la gastoj.
— La donaco de nia societo al la nova societo en Nikolsk Ussurijsk. 35-40 libroj, el kiuj nia biblioteko havis du aŭ pli da ekzempleroj kaj multe da malnovaj gazetoj tre diversaj el la tuta mondo. Ili bone servos en la propagando.
La vagonaro ekiras.
Du verdaj standardetoj (unu sur la perono, la alia el la fenestro de kupeo) salutas adiaŭe unu la alian. La vagonaro kuras, kuregas. Eĉ la lampoj de la urbo jam estas for.
La vagonaro kuras, kuregas, sed la membroj de la malgranda ekskurso havas varman lumon en la koro kaj en tiu lumo ili revidas la karajn vizaĝojn, kiujn ili vidis la unuan kaj eble la lastan fojon en la vivo.
En la duonlumo de la kupeo Marja prenas la manon de Nadai kaj kisas ĝin.
Nadai nekomprene kaj kun granda embaraso rigardas al ŝi.
–Kion vi faras? Vere mi…
— Anakŭ mi volis danki al vi pro la donaco.
— Sed mi donacis al vi nenion kaj se eĉ mi donacus …
— Jes, vi donacis multon al mi.
Vi instruis al mi tiun ĉi lingvon, vi instruis senti profunde ĝian spiriton kaj vi donacis al mi kredon…
— Sed Marja, ne estu tiel infana!
— Ĉu infana?
Mi estas tre virina kaj mi devas havi tiun kredon, kiun vi ĉiuj havas. Pensu, amiko, pri tio, ke mi havas kvar gefratojn… kvar gegratojn malgrandajn kaj tre malsanan patrinon kaj pensu pri la maro… pri tiu maro, kiu disigos nin por ĉiam…jes.. por ĉiam.
— Ho, Marja…
— Silentu!… Mi ne estos malgaja. Ni havas saman vojon, saman senton…kaj ne forgesu vian… vian stultan lernatinon.
— Ne, ne, Marja! Neniam!
— Neniam… neniam … neniam…
Kaj la vagonaro kuras, kuregas en la nokto.

(UK
大尉さんありがとう。でも私たちはたった12人です。
いや気にしないで!そのままの人数でずっといるわけではないでしょう。あなたのグループは大きくなり、たくさんの新しいメンバーを得ることでしょう。ヴォナゴさんがあなた方の素晴らしい宣伝の朝公演のことを話してくれました。宣伝にはお金が必要です。些少ですがあなた方の宣伝活動の会計用にお受け取りください。私は裕福な将校ではありません。これくらいしかあげられませんが、こころばかりのものを差し上げます。
クラトフはお金を受け取りたくはなかったが、しかしヴォナゴさんも彼に受け取りなさいと勧めたとき、かれは会の名において大尉の好意に感謝した。
大場大尉はこれ以上船を放置できなかったので夕方の列車のプラットホームで《さようなら》を告げたのはヴォナゴさんと、彼の公証人助手だけで、その助手は客に大きい包みを手渡した。
私たちの会からニコルスク・ウスリスクの新しい会への贈り物です。35~40冊の本です。その中には私たちの図書室に2冊以上あるもの、そして多くの古い雑誌があります。実に様々な雑誌で世界中から来たものです。それらは宣伝活動に大いに役立つでしょう。
列車は出発する。
2つの緑の小旗(1つはプラットホームで、もう1つは客室の窓から)互いにさようならの挨拶をする。
列車は走る、大いに走る。
町の灯りでさえもはや遠のいた。
列車は走る、大いに走る。しかし小さな遠足の参加者は心に温かい灯りを感じ、そしてその灯りの中に彼らは親しい顔の数々を再び思い浮かべるのであった。それらの顔に彼らは初めて会ったがまたこれがおそらく人生で最後になるであろう。
客室の薄明りの中でマリヤはナダイの手をとりキスをした。
ナダイは意図を計りかねて大きな戸惑いのまなざしで彼女を見る。
何をするの?本当に私は…
私もあなたに贈り物のお礼をしたかったの。
しかし、私は何もあなたに贈っていないし、もし贈ったとしても…
いいえ、あなたはたくさんのものを私に贈ってくれたわ。
あなたは私にこの言語を教えてくれた、その精神を深く感じることを教えてくれた、そしてあなたは私に信念を贈ってくれて…
そんな子供みたいなことを言わないで。
子どもみたいにですって?
考えてもみてください、友よ、このことを、私は4人の弟妹をもっています…4人の小さな弟妹ととても病んでいる母親を。そして考えてみてください、あの海のことを…その海のこと、私たちを永遠にひき離してしまう海…そう…永遠に。

おお、マリヤ…

黙って…私は悲しまないわ。私たちは同じ道を歩んでいる、同じ気持ちを持っている…そして忘れないであなたの…あなたのお馬鹿な生徒のことを。
おお、マリヤ…
黙って…私は悲しまないわ。私たちは同じ道を歩んでいる、同じ気持ちを持っている…そして忘れないであなたの…あなたのお馬鹿な生徒のことを。
いや、そんな、マリア!忘れないよ決して!
…忘れないわ…絶対に…いつまでも…

そして列車は走る、大いに走る、夜の中を。

経過

1.   Ĉaptro 7: En Vladiostoko p47/13 – p48/lasta
 — Sed Marja, ne estu tiel infana!

(UK
しかし、マリヤ、そんなに子供みたいにならないで。
(疑問)上のマリアの言葉を子供っぽいとする理由が不明。単にこの後のマリアの発言につなげるためか?
(AM)
*マリアが自分自身でエスペラントを学び始め、その精神を学び、そして信念を育てていったと、ナダイは考えているので、与えられる一方の子供だったというのはおかしいということなのではないでしょうか。「そんな子供みたいなことを言わないで」という感じ。
(UK
ああ、なるほど、そういうことですか。それなら納得できます。
–>そんな子供みたいなことを言わないで。

2.   Mi estas tre virina kaj mi devas havi tiun kredon, kiun vi ĉiuj havas.

(UK
私は一人前の女性です。そして私はその信念を持たなくてはなりません、あなた方みんなが持っているその信念を。
(疑問)tre virinaとは?具体的にどういうものかはわからないが、マリアとしては大人の女性としてみてください、という気持ちだろうと解釈。
AM
*tre virina については私もよくわかりませんが、infanoに対して大人だと反論していますから、「一人前の女性」と訳すのは間違いではないと思います。

3.   Pensu, amiko, pri tio, ke mi havas kvar gefratojn… kvar gegratojn malgrandajn kaj tre malsanan patrinon kaj pensu pri la maro… pri tiu maro, kiu disigos nin por ĉiam…jes.. por ĉiam.

(UK
考えてもみてください、友よ、このことを、私は4人の弟妹をもっています…4人の小さな弟妹ととても病んでいる母親を。そして考えてみてください、あの海のことを…その海のこと、私たちを永遠にひき離してしまう海…そう…永遠に。
(疑問)ここでいきなりamikoと呼びかけるのは不自然。前の文からつながりでみると、ただの子供、生徒としてではなく、同志として扱って欲しいということか?その資格は十分であるということの主張をしているのか?
AM
*マリアはナダイとの別れが近づいているのを感じて、感情に流れないように自制してamikoを使ったような気がします。
(UK
それはありそうです。しかしうまくいかないというのもありですね。

4.   — Ne, ne, Marja! Neniam!

(UK)
いや、いや、マリア!決して!
(AM)
*ここは「決して」や「いや、いや」の単語だけではおさまりが悪いと思います。
  「決して忘れません」という誓いにも似たフレーズがないと双方ともに納得しないのではないでしょうか。

(UK
いや、そんな、マリア!忘れないよ決して!

5.   — Neniam… neniam … neniam..

(UK
決して…決して…決して…
(UK
…忘れないわ…絶対に…いつまでも…

6.   Kaj la vagonaro kuras, kuregas en la nokto

(UK
そして列車は走る、大いに走る、夜の中を。
(UK
*ちょっとドラマチックになりすぎたので、興醒ましに…
 物語の舞台からハンガリーまでは陸続きだし、ナダイも陸伝いにここまでやってきたはず。しかし帰るのは海から。いくら距離があっても別れは海に隔てられる方がどうしようもない感じが出ますね。
 子供の頃小説を読んで、男性作家はどうしてあんなに女の人の気持ちがわかるのかなぁ、テレパシーでも使えるのかなぁ、と疑問に思っていましたが、大人になってわかりました。女性はそうあって欲しい、そう反応して欲しいという願望を描いていたんですね。そんな願望をベシバシ打ち破る女性がまわり中にいても、山のあなたの空遠く、そういう人がいればいい…と。

(AM)
    *男女とも事情は同じようです。女の人も男性に夢、というか妄想を描いていますから。
    女性作家の作品を読んで確かめたらどうでしょうか。
    Julio Baghyは第2次大戦で捕虜になり、シベリアに送られ、後日本を経て帰国したとのことです。この本の大部分は実体験で書かれているかもしれません。

(UK
湊かなえが受けたインタビューを見たことがあります。見かけはごく普通のおばさん。電車の中でまわりにいる普通に見える女の人たちもあんなに恐ろしい企みをしているのかなぁ。あっ、あそこに座っているあの人なんかいかにも…。
そうですね。前回の「日本のエチケット」なんてどこかで身近に見聞きしていないと出てこない気がします。それにしても東欧圏の国々はとりわけ複雑な歴史を持っていますね。

追加

(UK
先日、FTさんから ”ŝengena zono” という言葉を伺って “senĝena zono”の誤植では?と思ったのですが「シェンゲン協定」というのがあることを初めて知りました。単純にEU内ではビザなしで移動できるようだと思っていましたが、自由に移動できる”ŝengena zono”とEU加盟国の範囲とは一致しないのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A
ヨーロッパの複雑な事情なんて知らん、まぁ、勝手にやってくれ、と思っていましたがエスペラントのせいで(おかげで)ポツリポツリといろいろなことを知るようになりました。

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