LaVerdaKoro_008

テキスト

Ĉaptro 4: Leciono en la parko p20/16~21/lasta

Ankaŭ mia amiko. Apud mia regimento kuŝis lia regimento, ni militis, militis. El tiu tempo mi havas multajn malbelajn bildojn en mia kapo, sed ankaŭ tiu tempo metis la verdan koloron en mian koron….
Venis tago, kiam la japanoj faris el multaj freŝaj, junaj rusoj tre silentajn homojn, kiuj restis tie sub la tero. Tiujn malmultajn, kiuj restis, la malamiko portis al Japanlando. Mia amiko kaj mi estis inter tiuj malmultaj soldatoj.
Li havis gravan malsanon kaj mi…mi…vi vidas, mi havas nur unu manon…. Nu, tie, kiam ni havis la plej malfacilajn tagojn, japana kuracisto venis al ni. Li faris la kuracistan laboron ne malpli simpatie ĉe mi ol ĉe mia amiko, sed kiam lia rigardo tuŝis tiun malgrandan esperantan legolibron, kiun mia amiko portis el nia lando, li montris grandan intereson al li.
De tago al tago, kiam li venis, li longe restis ĉe lia lito. Li parolis la germana kaj la anglan ligvojn, ni parolis ne bone la francan lingvon. Nu, li ne komprenis nin kaj ni ne komprenis lin. Nur tion mi vidis, li ŝatas mian amikon pli ol min… Kaj venis la tago, kiam la kuracisto kun tri civilaj japanoj haltis ĉe la lito de mia amiko.
La plej maljuna, la patro de la kuracisto, amike rigardis kaj donis la manon al li:<<Ĉu vi estas esperantisto?>>—-li demandis kaj kiam mia amiko jese respondis, mi vidis tion, kio tuŝis mian koron.
La tri japanoj amike salutis lin kaj montris tian simpation, kiun ni malfeliĉaj militkaptitoj ne vidis ĝis nun ĉe la japanoj… Nu, de tiu tago mia amiko havis pli bonan humoron ol antaŭe kaj mi vidis, tiu kuracisto kaj tiuj japanoj venis de tempo al tempo al li ĝis la tago, kiam li jam ne havis forton kaj la malvarma tuŝo de la Granda Mano fermis lijan okulojn.
Tiam mi vidis, ankaŭ la malamiko havas koron, se la homaj sentoj parolas…De la kuracisto mi ricevis la malgrandan legolibron de mia amiko kaj liaj japanaj amikoj venis ankaŭ al mia lito.
Mi rakontis al vi veran historion. Tial mi estas esperantisto, fraŭlino Marja Bulski.
Tial mi havas belan donacon hodiaŭ, kiam venis tempo, en kiu ankaŭ mi havas tian homan senton, kian havis tiuj japanoj.
Ho, Esperanto estas ne nur lingvo, sed idealo, kiu portas pacon al la koro kaj kulturon al la kapo.
Vera esperantisto sentas, la patrolando estas patra hejmo, la nacia kulturo estas la gepatroj. Li file amas ilin.
Sed la vera esperantisto sentas ankaŭ tion, la mondo estas patrolando de la tuta homa familio, la diversaj kulturoj estas la fratoj kaj li frate simpatias al ili.
Tial mi estas esperantisto, ĉar mi sentas min homo kaj mi vidas homfraton en la homo, ĉu li apartenas al mia nacio aŭ al ne mia nacio.
Sen bajonetoj, sen kanonoj la homoj estas fratoj; kun bajonetoj, kun kanonoj ili ne estas homoj. Ĉu vi komprenis la rakonton de via maljuna rusa frato?

(UK)

私の友人も満州に行きました。彼の連隊は私の連隊の隣にあり、私たちは戦いに明け暮れました。
その時に私はたくさんの醜い絵を頭の中に入れてしまうことになりましたが、その時はまた私の心の中へ緑色をもたらしたのでした。
そんな日が来たのです。日本人が元気で若いロシア人を物言わぬ人々、そこで地の底に残ることになる人々、に変えてしまうというそんな時が。
生き残ったわずかな兵士たちを敵は日本の地へ連れて行きました。私の友人と私はそうしたわずかな兵士たちの中にいたのです。
彼は重い病気を患い、私は…私は…見てのとおり、片手だけになっていました。
さて、そこで、私たちが過酷な日々を送っていたとき、日本人の医師がやってきました。彼は医師として友人より私を冷たい態度で診たわけではありません。しかし友人が祖国から持ってきた小さなエスペラントの読本に目が触れたとき、彼は友人に対して大きな関心を示しました。
折に触れて、その医師がやってきたときには、彼は友人のベッドのところに長く居ました。彼はドイツ語と英語を話し、私たちはたどたどしいフランス語を話しました。
さて医師は私たちの言うことがわからず、私たちは彼の言うことがわかりませんでした。ただ彼が私より友人の方が好きだということはわかりました。
ある日のこと、その医師は三人の民間人とやってきて、友人のベッドのところで止まりました。最も年上の、その医師の父親が、私の友人を親し気に見つめ、彼に手を差し出して尋ねました。「あなたはエスペランチストですか。」彼がそうだと答えたとき、私は見たのです。私の心に触れるそれを。
その三人の日本人は彼に親し気に挨拶して好意を示しました。そのような好意はその時まで私たち不幸な戦時捕虜が日本人に見たことのないものでした。
さてその日から友人は前より上機嫌になり、その医師と日本人たちが折に触れやってくるのを見ました。それは友人がもはや力を失い「大いなる手」が冷たく触れて彼の眼を閉じるその日まで続きました。
そのとき私にはわかりました。人としての感情で話すならば敵もまた心を持っているのです。私はその医師から友人の小さな読本を受け取りました。そして私の友人の日本の友達は私のベッドのところにも来ました。
私は本当のいきさつを話しました。だから私はエスペランチストなのです。マリヤ・ブルスキさん。
だから私は今日、素晴らしい贈り物を手にしています。あの日本人たちが持っていたような人間としての感情を持つ時が私にも来たのです。
あぁ、エスペラントは単なる言語ではなく理念なのです。心に平和をそして頭に人間理解をもたらす理念なのです。
真のエスペランチストは母国を家、国の文化を両親のように感じます。彼は息子としてそれらを愛します。
しかし真のエスペランチストはまたこうも感じるのです。世界はすべての家族の母国であり、多様な文化は兄弟であると。そして彼はそれらに対して兄弟として共感します。
だから私はエスペランチストなのです。私は自分が人であると感じ、その人の国が同じでも違っても、その人が人として兄弟であるとわかるからです。
銃剣も大砲もなければ人々は兄弟です。銃剣や大砲を持つと人ではありません。老いたロシアの兄弟の話をわかってもらえましたか。

経過

1.   El tiu tempo mi havas multajn malbelajn bildojn en mia kapo, sed ankaŭ tiu tempo metis la verdan koloron en mian koron….

(UK)

その頃私はたくさんの醜い絵を頭に詰めこむことになりましたが、そんな時にも私の心の中へ緑色を入れておきました。

(TM)

    ※ この主語は誰なんでしょうか? 
       私が見にくい絵を詰め込んだり、緑色を入れたのでしょうか。
      主語を強調せずに、期せずして入ってしまった状態ではないでしょうか。 
sed ankau の前に(ne nur ) を入れてみたら;
      …詰めこむことになりましたが,(それだけではなく)その頃、私の心の中に緑色もまた、入って来たのです。・・・とすると自然かな。

(UK)

確かに見たくないものを見たので自分で詰め込んだわけではないですね。後半に
関しては、なるほどご指摘のような捉え方には気づきませんでした。私は逆に
とってしまいました。
1.戦いの中でも「緑色」がはいってきた
2.戦いの中でともすれば「緑色」を失いがちになり、これではならじと「緑
色」を押し込んだ
やはり1.の方が自然のようです。
その頃たくさんの醜い絵が頭の中にはありましたが、しかしそんなときにも緑
色が心の中へと入ってきたのです。

(AM)

…,sed ankaŭ tiu tempo metis verdan koloron en mian koron.

この文の主語はtiu tempo です。en tiu tempo でもなく、   tiun tempon     でもないですから。
その時期(に起きたこと)がわたしの心の中にみどりの色を置いたのでした(もたらしたのでした)。
つまりこの時期に日本人エスペランティストたちとの出会いあったことを指しています。

(UK)

ここは完全に誤読でした。tiu tempoが主語ですね。
El tiu tempo mi havas multajn malbelajn bildojn en mia kapo, sed ankaŭ tiu tempo metis la verdan koloron en mian koron.
その時に私はたくさんの醜い絵を頭の中に持つことになりましたが、その時はまた私の心の中へ緑色をもたらしたのでした。

2.   Venis tago, kiam la japanoj faris el multaj freŝaj, junaj rusoj tre silentajn homojn, kiuj restis tie sub la tero.

(UK)

日本人が多くの元気な若いロシア人を物言わぬ人々に変え、その地の下に残していく日がやってきました。

(TM)

     ※ 衝撃的な部分が、少し穏やかな感じになっています。 むしろ逐語訳の,「日が来た」「というときが」のほうが印象的になるのでは?そこを生かした訳はできないでしょうか。
       ・・・・・物言わぬ(いい訳ですね)、地の底に残された人々に変えた時が。

(UK)

そんな日が来たのです。日本人が元気で若いロシア人を物言わぬ人々、そこで
地の底に残ることになる人々、に変えてしまうというそんな時が。

3.   Li havis gravan malsanon kaj mi…mi…vi vidas, mi havas nur unu manon….

(UK)

彼は重い病気を患い、私は・・・私は・・・見ての通り、手が一つだけになっていました・・・

(TM)

     ※ 日本語には「片腕」という言葉があるのでそれを使いませんか?

(UK)

unu mano とありますので、ここは「片手」でどうでしょうか。
子供の頃「傷痍軍人」と称する人々がいて、手のない人、肘から下がない人、肩
に近いところからない人のいずれも見たことがあります。

(彼は重い病気を患い、私は…私は…見てのとおり、片手だけになっていまし
た。)

4.   Nu, tie, kiam ni havis la plej malfacilajn tagojn, japana kuracisto venis al ni.

(UK)

さてそこで、私たちが最も困難な日々を送っていた時、日本人の医師が私たちのところに来た。

(さて、そこで、私たちがもっともつらい日々を送っていた時、日本人の医師がやってきました。)

(TM)

     ※ ここでも日本語の「苛酷な日々」を使ってはどうでしょうか?

なるほど、そうですね。

(UK)

さて、そこで、私たちが過酷な日々を送っていたとき、日本人の医師がやってきました。

5.   De tago al tago, kiam li venis, li longe restis ĉe lia lito. Li parolis la germana kaj la anglan ligvojn, ni parolis ne bone la francan lingvon.

(UK)

来る日も来る日も、彼が来たときは友人のベッドのところに長く居ました。彼はドイツ語と英語を話しましたが、私たちは下手なフランス語で話しました。

(TM)

     ※ 「日を追うごとに」とするほうが時の変化がわかります。
     ※ 下手な(malbona) と 上手くない( ne bona )をわかっている上での訳と思いますが、念のため。

(UK)

ここは完全に誤解していました。医師が留まる時間が長くなっていったのです
ね。それで de tago al tago となっていたのですか。
日を追うごとに、医師はやってくると友人のベッドのところに長く居るように
なりました。彼はドイツ語と英語を話し、私たちはたどたどしいフランス語を話
しました。

(AM)

de tago al tago
日に日を継いで、とか、日ごとにという言葉は継続を意味します。「日に日を継いで」ならtagon post tago
「日毎に」というならĉiutage,   ĉiun tagonとなります。de tempo al tempoという表現を思い出してください。
「ときどき」とか「折に触れてとか」、つまり「毎日ではないけれど」という意味ではないでしょうか。

(UK)

訂正します。
De tago al tago, kiam li venis, li longe restis ĉe lia lito. Li parolis la germana kaj la anglan ligvojn, ni parolis_ne bone la francan lingvon.
折に触れて、その医師がやってきたときには、彼は友人のベッドのところに長く居ました。彼はドイツ語と英語を話し、私たちはたどたどしいフランス語を話しました。

6.   Nu, de tiu tago mia amiko havis pli bonan humoron ol antaŭe kaj mi vidis, tiu kuracisto kaj tiuj japanoj venis de tempo al tempo al li ĝis la tago, kiam li jam ne havis forton kaj la malvarma tuŝo de la Granda Mano fermis lijan okulojn.

(UK)

さてその日から友人は前より上機嫌になり、その医師と日本人たちが折に触れやってくるのを見ました。それは友人がもはや力を失い「大きな手」が冷たく触れて彼の眼を閉じるその日まで続きました。

(TM)

      ※ ああ、もう一つ: 「Granda  Mano」 は「大きい手」でもいいですが「偉大なる手」もありますね。 

(UK)

「大いなる手」でもいいでしょうか。Baghyはこれまでのところ一度も「死」と
「神」という言葉を直接は使っていないですね。

(UK)

(さてその日から友人は前より上機嫌になり、その医師と日本人たちが折に触れ
やってくるのを見ました。それは友人がもはや力を失い「大いなる手」が冷たく
触れて彼の眼を閉じるその日まで続きました。)

7.   Tial mi havas belan donacon hodiaŭ, kiam venis tempo, en kiu ankaŭ mi havas tian homan senton, kian havis tiuj japanoj.

(UK)

だから私は今日、素晴らしい贈り物を手にしています。あの日本人たちが持っていたような人間としての感情を持つ時が私にも来たのです。

(UK)

ここでちょうど多くの国の出身者とを前にして、あのとき日本人たちが感じたも
のはこれだったのかと感動を新たにしている場面なのでしょうか。
ちなみに、クラトフが現在何歳か特定できないのですが、エスペラント歴は最大
で14年です。日露戦争の終結が1905年、現在が1919年だからです。

8.   Ho, Esperanto estas ne nur lingvo, sed idealo, kiu portas pacon al la koro kaj kulturon al la kapo.

(UK)

あぁ、エスペラントは単なる言語ではありません。心に平和をそして思考に修養をもたらす理念でもあるのです。

(TM)

      ※ これはこれで素晴らしいと思いますが仲間たちとの会話の流れでは固くねー?(笑い)  私はこう訳したよ、という方はお知らせください。

(UK)

それはそうなんですが、これをくだけた言い方にするのはなかなか大変ですよ。
どなたか、ぜひ聞かせてください。クラトフがすごく真剣に言っているのでおちゃらかしにならないよう注意して。

(AM)

エスペラントとは単に言葉ではなく、理念なのです。そしてその理念が平和を願う心、ものを考える力をもたらすのです。
上記は私訳です。エスペラントにこの性質があるから、今まで潰されずに生き延びきたのだと思います。理念のない
行動は遠からず崩壊します。私の説教は固いなー。

(UK)

やはり「思考に修養を」では「頭に文化を」と同様なんのことかわからないので、Iĉo Pangの見解を取り入れて、少し直してみました。しかし、やはり固さはとれないです。
 Ho, Esperanto estas ne nur lingvo, sed idealo, kiu portas pacon al la koro kaj kulturon al la kapo.
あぁ、エスペラントは単なる言語ではなく理念なのです。心に平和をそして頭に人間理解をもたらす理念なのです。

9.   Tial mi estas esperantisto, ĉar mi sentas min homo kaj mi vidas homfraton en la homo, ĉu li apartenas al mia nacio aŭ al ne mia nacio.

(UK)

だから私はエスペランチストなのです、なぜなら私は自分を人と感じ、(私の前にいるその*)人の中に人間の兄弟を見るからです、彼が私の国に所属してもしなくても。
*la homo なので人間一般ではなく具体的に目前にいる人。
(だから私はエスペランチストなのです。私は自分が人であると感じ、その人の国が同じでも違っても、その人が人として兄弟であるとわかるからです。)

(AM)

ここはUKさんの言う通りだと思います。出会いは人間にとって重要なものなのですね。

(UK)

藤巻氏の「エスペラント中級」の教材となっているのでFTさんが詳しいと思うのですが、Baghyは捕虜収容所で捕虜仲間と演劇活動を行い、実際に多くの国籍の人たちにエスペラントを教えていたとのことです。
ここで表現されたクラトフの感情は空想上の産物ではないと思います。

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