二葉亭四迷の「エスペラントの話」を読みました

Saluton al ĉiuj.

La enhavo de mia hodiaŭa temo estas tro malfacila kaj komplika por ke mi povu skribi frazojn Esperante.
Tial, mi ĉefe uzos la japanan en mia hodiaŭa taglibro.

先日、千葉エスペラント会の先輩会員と著作権の話になった際、「青空文庫」が話題に上がりました。
その折に青空文庫に興味を持ち、早速ネットで青空文庫のページにアクセスし、国語の教科書に載っていた宮沢賢治著作の「オツベルと象」を読みました。
通勤時間に本のつまみ読みが出来るので、早速大変気に入りました。

今日は二葉亭四迷の著作物を見ていたところ、「エスペラントの話」という話を見つけましたので、早速読んでみました。

話を読み、主に以下の二文が印象に残りました。

  1. 現在の各国に国語中一番弘く行はれてゐる英語とか仏語とかを採つて国際語にしたらといふ説も出たが、これも弊が多くて困る、成程英語が国際語になつたら英人には都合が好からうがそれでは他の国民が迷惑する。
    ↑明治時代の出版物に、「現在の各国に国語中一番弘く~国際語にしたらといふ説も出たが」とありますが、令和の世になり、すっかり英語を国際語として当然視してしまう時代になってしまったと実感しています。
    昨日タイマッサージの店に入れば、来日したばかりで日本語をほとんど話せない方が出て来て英語で会話をする羽目になるし、今日も南アジア系の外国人に英語で電車の乗り換えを教える羽目になりました。
    現地の学校教育や世界的な影響なのかもしれませんが、「来日したものの日本語がわからない、でも英語なら分かるので英語を話そう」という状況に彼彼女らはいるのだと思います。
    今の世界では、お互いの母語を話さない人同士が話をするときに英語を用いることを当然視していますが、自然言語を苦労して習得して(一方で全く国際語習得に苦労しない集団も存在する)、お互いに訛った英語で話し合うことに対して自分は違和感を感じてしまいます。そもそも、英語が広く世界中で使用されている背景として、侵略と支配の歴史があります。
    英語を真の国際語と認めてしまえば、我々は英語母語話者の視点において、支配を受け続ける二級市民の立場に甘んじ続けていることを意味するのではないでしょうか。明治時代より国際化の流れがより進み、言語の環境においては、所謂不平等な状況が蔓延しているのが昨今の実情であると思います。
    日本やフィリピンの家庭において、子供の将来のためにと英語のネイティブではない親達が躍起になって英語を話しながら子育てをしている事例を何件か目撃しましたが、自分は複雑な感情を抱きました。

2.英語なり独逸語なり、現在の外国語になると、何程手に入つたといつても、書いたものを直ぐ出版するといふことの出来る人は少からう、多くは是非一度英人なり独逸人なりに筆を入れて貰はなければ、安心して出版は出来まい、ところがエスペラントはどこの言葉といふのでないから、同じ文法に依つて、同じ言葉を使ひながら、各国皆其スタイルが違ふやうだ、例へば英人は英語を、独逸人は独逸語を、仏人は仏語をそれ/″\エスペラントに引直して用ゐるから、英人のエスペラントには英語の臭味があり、仏人は仏語、独逸人は独逸語の臭味がある。だから日本のエスペラントは日本語の臭味があつたとて一向差支つかへないと思ふ。これは非常に都合の好い話だから、願はくば多数の力でエスペラントの日本式スタイルを作つて、日本語の精神でエスペラントを使つて世界の人を相手にドシドシ著作の出来るやうにしたい。
↑私も全く同感です。自然言語を用いる場合、どうしても、その言語の母語話者の判断が絶対となり、我々は常に文章が正しいか母語話者にお伺いをたてなければならない状況に置かれます。
一方で、エスペラントは一部の文化や民族に所属しているわけではないので、「唯一の正解」のようなものは存在しないと自分も思います。
自分の第二言語は英語ですので、ひょっとしたら自分のエスペラントも英語臭くなっているかもしれません…。

最後にですが、将来は科学技術と自動翻訳の更なる発展により、「英語=国際語」といった概念が崩壊し、英語を話せなくても自動翻訳で(我々日本人の場合は、日本語のみで)用事が済んでしまう時代が近いうちに来ると思います。

そのような時代が本当に来た場合、国際語としての英語を学習する意義は失われますが、希望者としてエスペラントを学習し、自動翻訳を介さずとも様々な人々と意志疎通を図りたい方達の夢は消えないと思います。

本日は日記を長々と書き込み、失礼致しました。
Ĝis baldaŭ!

“二葉亭四迷の「エスペラントの話」を読みました” への1件の返信

  1. 1.想像以上の時代がかったものいいですね。二葉亭四迷の「世界語」を読みましたので、想像はしてましたけど。。。
    2.上記の「最後にですが」以下の穂役の話ですが、少し異論があります。私としては、ChatGPTやGoogle翻訳などのクオリティを英語でさえも、完全に自動翻訳になるのはまだまだ先の様な気がします。専門用語の翻訳ならまだしも、普通の翻訳でも時々飛んでもない用語が訳出されてきたりしますので、これはどうか?、という気がします。後何年か、または永久にその日が来ないことも考えられる(?)ので、あまり早急に判断しない方が良いと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です