LaVerdaKoro_049

LaVerdaKoro_049

テキスト

Li havas sekretan doloron, pri kiu li ne parolas, sed mi konas ĝin. Mi scias, kial liaj lipoj mutas kaj li ne trovas vortojn por sia sento. Li amas min tro por paroli. Li amas min tro por veki en mi vanan esperon. Ho, kiel mi dezirus krii al li; kara, kara, mi scias ĉion, ĉion kaj mi deziras nenion. Jes, nenion, nur la senton, ke vi tiel amas min, kiel mia koro nun sentas la sincerecon de via amo. Mi jam ne memoras, pri kio ni parolis dum longaj horoj. Nur tion mi scias, ke ĉirkaŭ mi ĉio subite havis novan koloron, novan signifon. La konsolo venis en mian koron kaj mi feliĉe ridetis, eĉ ridis dum la tuta vojo al la kunvenejo. Ni ludis kiel la infanoj. Ni dancis en la dika freŝa neĝo. Ni kuris, ŝerce batalis per neĝaj kugloj kaj ni kantis, ridis babilis. Mi forgesis, ke mi havas malsanan patrineton kaj kvar gefratojn. Ho Dio ne punu min tial, ĉar mi estis tiel gaje feliĉa! Kiam ni alvenis al la kunveno, jam ĉio estis preta. La benkojn oni metis al la muroj, por ke ni havu pli grandan liberan lokon. En la ĉambro staris la ĝisplafona kristnaska arbo. Bela abio! Janis Lekko, la latvo, elektis, elhakis, portis ĝin el la malproksima arbaro. Petro Koluŝ, la amerika soldato, alportis biskvitojn kaj diversajn marmeladojn. Sinjoro Kuratov kaj sinjorino Bogatireva zorgis pri tio, ke la abio havu kristnaskan veston. Fraŭlinoj Smirnova alportis kukojn. Fraŭlino Tkaĉeva venis kun sia onklo, la rusa kolonelo kaj ilian pakaĵon servisto portis post ili. Diversaj manĝaĵoj kaj kelkaj boteloj da vino, multaj boleloj da fruktoakvo. Ankaŭ mi alportis mian donacon:silkan standardon kun verda stelo kaj kun la surskribo <Per Esperanto por la Kulturo>. La vortojn diris li. La materialon por la standard aĉetis la ĉeĥa Pavel Budinka kaj la rumana Adrian Berariu. Mi donis nur la noktan laboron al ĝi, sed ĉe ĉiu stebo mi aldonis nur belajn pacojn sentojn, bondezirojn. Ho, Dio donu, ke tiun standardon neniam makulu homa sango!

(FT)
彼(ナダイ)は、話さない秘密の痛みを持っています、私(マリア)は、それを知っています。     なぜ彼の口が重いのか、そして、彼は、自分の気持ちを表すための言葉を見つけることが出来ないことを、私は知っています。彼は、私を愛すあまりに言葉にできないのです。 彼は、わたしをあまりに愛していて、私にむなしい希望を持たせるようなことをしたくないのです。 ああ、私は、彼に呼びかければよいのだろう。親愛なる、いとしい(あなたへ)。私はすべてのことを分かっているのです。そして、わたしは何も望みません。 はい、何も望みません。私の心は、いま、あなたの愛の誠実さを感じているのとおなじくらいあなたが私を愛しているのを感じたいだけなのです。 私は、すでに、私たちが長い時間話したことについて覚えていません。 ただ、私の身の周りの全ては、突然に新しい色、新しい意味を持っていたことを分かっているのです。 慰めは私の心にやってきて、私は会合場所に向かう全部の道すがら、幸せにも微笑み、笑ってさえいました。 私達は、子供のように遊びました。分厚い新雪のなかで、ダンスをしました。 私達は、走り、ふざけて、雪のつぶてによって、雪合戦をしました。そして、歌い、笑い、おしゃべりをしました。   私は、病気の母と4人の兄弟、姉妹がいることを忘れていました。 ああ、神様、私がそのように楽しく、幸せだからといって、私をそのように罰しないで下さい。 私達が会合に到着したとき、すべては準備されていました。 我々がより大きく自由な場所に動けるように、長椅子が壁の方に置かれていました。 部屋の中には、天井まで届くクリスマスツリーがありました。 美しいもみの木だ。ラトビア人のヤニス・レッコが、遠くの森から、もみの木を選んで、切り出し、運んだのでした。 米国兵士のぺートロ・コールシュは、ビスケットと色々なジャムを持ってきています。 クラトフさんとボバトレーバ夫人は、そのもみの木がクリスマスの服装をするようにお世話していました。 シミルノーバ家のお嬢様方は、ケーキを持ってきていました。 ツカチェーバ嬢は、ロシアの大佐の自分のおじとともにやってきました。そして奉公人が2人の後に2人の荷物を携えていました。 色々な食べ物と数本のワインボトル、多くの果物汁のボトルがありました。 私が私の贈り物、つまり、緑の星がぬいつけられた「エスペラントで文化のために」という標語のついた、絹の旗を持ってきたのでした。 彼(ナダイ)は、その言葉を言いました。その旗の素材は、チェコ人のプラーベル・ブディンカとルーマニア人のアドリアンベラリィウが買いました。 私は、ただそれに対して、夜なべ仕事をしただけです。しかし、各々の縫い目に、私はただ、良い平和の気持ち、良い希望を付け加えたのでした。 ああ、神よ、その旗が人の血で決して汚されんことを! 

経過

  1. Li havas sekretan doloron, pri kiu li ne parolas, sed mi konas ĝin.

(FT)
彼は、言えないだけではなく、よく体験して分かっている秘密の痛みを持っています。
(UK)
*ne~sed~の構文と解釈したようですが、
Li~parolasがナダイの様子を表す節、mi~がマリアの状態を表す節で
sedが両者を等位接続しています。
したがってまずそれぞれの節を分けて訳してみてください。
*koniは確かに経験してわかっていることですが、ここでは単に「知っている」で良いと思います。
(FT)
彼(ナダイ)は、話さない秘密の痛みを持っています、私(マリア)は、それを知っています。    

2. Mi scias, kial liaj lipoj mutas kaj li ne trovas vortojn por sia sento. Li amas min tro por paroli.

(FT)
彼の感覚のために、なぜ彼の唇が無言で、そして、言葉をさがせないことを私は、分かっています。彼は、しゃべりすぎるほど、私を愛しています。
(UK)
*trovas vortojn por sia sentoはたとえば「自分の気持ちを表すための言葉を見つける」というようなことではいかがでしょうか?
**Li amas min tro por paroli.でtroはparoliではなくamasにかかります。
  つまり、Li tro amas min por paroli.
ここでは”tro~por… -i” (・・・するには~すぎる)という言い回しを使っています。
(FT)
彼は、自分の気持ちを表すための言葉を見つけることが出来ないことを知っています。彼は、話すには私をあまりにも愛しています。
(UK)
**後半は彼らの事情を無視すると奇妙な言い方になりますが、その通りだと思います。
liaj lipoj mutasという表現を生かせるとおもしろいかと思います。
(UK)
なぜ彼の口が重いのか、そして、彼は、自分の気持ちを表すための言葉を見つけることが出来ないことを私は、知っています。彼は、話すには私をあまりにも愛しています。
(AM)直すというわけではなく、次のような訳もありますということで。

Li amas min tro por paroli. 彼は私のことを愛するあまり言葉にできないのです。
(FT)
なぜ彼の口が重いのか、そして、彼は、自分の気持ちを表すための言葉を見つけることが出来ないことを、私は知っています。彼は、私を愛すあまりに言葉にできないのです。

3. Li amas min tro por veki en mi vanan esperon.

(FT)
彼は、私がはかない希望を呼び覚ますほど、あまりにもわたしを愛しています。
(UK)
*ここも、上と同様”tro~por… -i”の文型を使っています。意味が反対になります。
(FT)
彼は、私がはかない希望を呼び覚ますには、わたしを愛しすぎています。
(UK)
**これも前の文と同様に二人の事情を考慮しないとおかしな文になりますね
(AM)
Li amas min tro por ne veki vanan esperon. 彼は私をあまりにも愛していて、私にむなしい希望を持たせるようなことをしたくないのです。
(FT)
彼は、わたしをあまりに愛していて、私にむなしい希望を持たせるようなことをしたくないのです。

4. Ho, kiel mi dezirus krii al li; kara, kara, mi scias ĉion, ĉion kaj mi deziras nenion.

(FT)
ああ、どのように私は、彼に呼びかければよいのだろうか。親愛なる、親愛なる友よ。私はすべてのことを分かっているのです。そして、(これ以上)何も分かりたくはないのです。
(UK)
*”kiel mi dezirus krii al li”は疑問文ではなくて感嘆文ですね。
しかも仮定法なので、マリアは実際にはできないことをできたらなぁと強く望んでいます。
**”mi deziras nenion”「これ以上何も分かりたくない」は「すべてのことを分かっている」と整合性がないですね。
この文の文字通りに訳すとどうなりますか?
(FT)
ああ、私は、彼に呼びかければよいのだろう。親愛なる、親愛なる友よ。私はすべてのことを分かっているのです。そして、わたしは何も望みません
(UK)
**これでおおむねマリアの言いたいことが表現できたと思います。
欲を言えば
Kiel mi dezirus krii al li:を感嘆文らしく、もっと激しい気持ちの発露として訳したらどうでしょうか
kara, kara,…はkara amikoとは言っていないですね。こういうときどう訳せばいいのか…
(FT)
ああ、私は、彼に呼びかければよいのだろう。親愛なる、いとしい(あなたへ)。私はすべてのことを分かっているのです。そして、わたしは何も望みません。

5. Jes, nenion, nur la senton, ke vi tiel amas min, kiel mia koro nun sentas la sincerecon de via amo.

(FT)
はい、何もなんです。あなたが私を愛するように、私の心は、いま、あなたの愛の誠実さを今、感じています。
(UK)
*”Jes, nenion, nur la senton, “は”Jes, mi deziras nenion. Mi deziras nur la senton, ke”の省略形でしょう。
**vi tiel amas min, kiel…
ややこしい文です。堂々巡りで出口がなくなります。
tiel~kiel…ですから「…と同じくらい~」「…ほど~」:
マリアが望んでいるのは
「私の心が、いま、あなたの愛の誠実さを、感じているのと同じくらい 、あなたが私を愛している、という感覚だけ」
となります。
おや何を言っているんだろう?と思ってしまいます。
マリアはナダイの愛情とそれを言わない理由をわかっていると思っていますが、ナダイがはっきりそれを示したわけではないので、それを確かなものと感じたいのでしょう。
(FT)
はい、何も望みません。私の心は、いま、あなたの愛の誠実さを感じているのとおなじくらいあなたが私を愛しているのを感じたいのです。
(UK)
**nurを入れて「感じたいだけなのです」などとするといいかもしれません。
  ここはわけのわからない文に見えますが、前に出てきた
   Li amas min tro por paroli.
Li amas min tro por veki en mi vanan esperon.
  に関連して、何も望まないから、気持ちを言って欲しいということかもしれません。

(FT)
はい、何も望みません。私の心は、いま、あなたの愛の誠実さを感じているのとおなじくらいあなたが私を愛しているのを感じたいだけなのです。

6. Mi jam ne memoras, pri kio ni parolis dum longaj horoj.

(FT)
私は、すでに、私たちが長い時間話したことについて覚えていません。
(UK)
*ここから過去形で語られています。場面が過去の思い出に飛んでいます。

7. La konsolo venis en mian koron kaj mi feliĉe ridetis, eĉ ridis dum la tuta vojo al la kunvenejo.

(FT)
慰めは私の心にやってきて、私は会合場所に向かう全部の道すがらの間、幸せにも微笑み、笑ってさえいました。
(UK)
**素晴らしいです。
 道すがらの「すがら」と「の間」が重複します。「すがら」の方がニュアンスの豊かなきれいな言葉なのでこちらを採用した方がいいと思います。
(FT)
慰めは私の心にやってきて、私は会合場所に向かう全部の道すがら、幸せにも微笑み、笑ってさえいました。
(TM)
* 道すがら・・・いいですね。 

8. Ho Dio ne punu min tial, ĉar mi estis tiel gaje feliĉa!

(FT)
ああ、神様。私をそのように罰しないで、なぜなら私は、楽のしく幸せでしたので。
(UK)
*punu min tialのtialの内容はĉar以下の節です。
したがって、~を理由として罰しないで、~だったからといって罰しないで、となります。
(FT)
ああ、神様、私がそのように楽しく、幸せだからといって、私をそのように罰しないでね。
(UK)
**うまくいきました!「そのように」はなくてもいいかもしれません。
若いのにかわいそうに。家族の中で一人だけ楽しんだり、幸福を感じてしまったことに罪悪感があるんですね。
***「罰しないでください。」相手は神様なのでタメ口厳禁!
(FT)
ああ、神様、私がそのように楽しく、幸せだからといって、私をそのように罰しないで下さい。

9. En la ĉambro staris la ĝisplafona kristnaska arbo.

(FT)
部屋の中には、天井に取り付けられたクリスマスツリーがありました。
(UK)
*ĝisplafona 天井まで届く
(FT)
部屋の中には、天井まで届くクリスマスツリーがありました。

10. Bela abio! Janis Lekko, la latvo, elektis, elhakis, portis ĝin el la malproksima arbaro.

(FT)
美しいもみの木だ。ラトビア人のヤニス・レッコは、遠くの森から、もみの木を選んで、切り出し、運んだのでした。
(TM)
主語の訳で  ~が、~は との使い分けができるので,①ヤニス・レッコは  よりも ヤニス・レッコが  ではどうでしょうか? 彼がわざわざ モミの木を運んで来たのだから。(もう1か所、あとで出てきます。)
(FT)
美しいもみの木だ。ラトビア人のヤニス・レッコが、遠くの森から、もみの木を選んで、切り出し、運んだのでした。

11. Ankaŭ mi alportis mian donacon:silkan standardon kun verda stelo kaj kun la surskribo <Per Esperanto por la Kulturo>.

(FT)
私が私の贈り物、つまり「緑の星と文化のためのエスペラントを使って」と書かれた絹の旗を持ってきたのでした。
(UK)
*たとえばこんなのはどうでしょう?
緑の星と「文化のためのエスペラントを使って」という標語が付いた
(FT)
私が私の贈り物、つまり「緑の星と文化のためのエスペラントを使って」という標語のついた、絹の旗を持ってきたのでした。
(UK)
**「緑の星」は標語ではなく、文字通り緑の星が縫い付けてあったのだと思います。標語は<>で囲まれた「文化のためのエスペラントを使って」の部分でしょう。
(FT)
私が私の贈り物、つまり、緑の星がぬいつけられた「文化のためのエスペラントを使って」という標語のついた、絹の旗を持ってきたのでした。
(AM)
”Per Esperanto por kulturo”は「エスペラントで文化のために」だと思います。
(FT)
私が私の贈り物、つまり、緑の星がぬいつけられた「エスペラントで文化のために」という標語のついた、絹の旗を持ってきたのでした。

12. La vortojn diris li. La materialon por la standard aĉetis la ĉeĥa Pavel Budinka kaj la rumana Adrian Berariu.

(FT)
彼は、その言葉を言いました。その旗の素材は、チェコ人のプラーベル・ブディンカとルーマニア人のアドリアンベラリィウが買いました。
(UK)
*ここで”li”は誰でしょう?
(FT)
liはKuratovだと思います。
(UK)
**Kuratovが登場した文とは少し離れているので、Kuratovが言った場合はLa vortojn diris s-ro Kuratov.と書きそうな気がします。
この文脈で”li”に該当する人物はいないようなので、とするといま心にある男性でしょう。第一章の講座の中でも「エスペラントは文化です」と教えていますし。
(FT)
Liは何ですか。とよく聞かれます。この場合、一般的には、さかのぼって、単数の名詞を探し、検討をつけるようにしていますが、このようにかなり前までさかのぼる場合もあるのは、どのようにかんがえるといいのでしょうか。教えてください。
(UK)
ここの”li”は日記の記述を通して、ずっと登場したままでいる人物です。
クリスマスのエピソードの中だけで”li”を探すと該当者がみつかりません。
マリアはいま何をしているかというと、自分と”li”(ナダイ)のことを日記に書いています。
日記の中でもナダイの名前は書けないで”li”か”ni”の一人として書いています。
つまり、この日記を書いている間ずっと”li”(ナダイ)はマリアの胸の内から離れていないので”li”だけで誰のことかわかるのです。
(TM)
*前回のSJさんの部分の始めの方に、「li 」が出てきました。 P.61  下から8行目。それが「li」と斜めに書かれているので特別な「彼」→ナダイですね。
**主語の訳で  ~が、~は との使い分けができるので,La vortojn diris li 。彼がその言葉を言ったのです。 
(AM)
今回の文章の範囲での li の使い方はUKさんの解説通りだと思います。
とんでもないところに急に li が現れるので、とまどいますが、前後の文を調べても”per Esperanto por kulturo”は
ナダイ先生の言葉としか考えられません。マリアは小説ではなく自分のための日記を書いているので、これでよいのでしょう。
私なんかも人の名を隠したいときには、Mさんとか、あの人とかにしますね。そう、「あの人」の意味で li なんですよ。

13. Mi donis nur la noktan laboron al ĝi, sed ĉe ĉiu stebo mi aldonis nur belajn pacojn sentojn, bondezirojn.

(FT)
私は、ただそれに対して、夜間作業をしただけです。しかし、各々の縫い目に、私はただ、良い平和の気持ち、良い希望を付け加えたのでした。
(TM)
nokta laboro ・・・夜なべ仕事はどうでしょう。
(FT)
私は、ただそれに対して、夜なべ仕事をしただけです。しかし、各々の縫い目に、私はただ、良い平和の気持ち、良い希望を付け加えたのでした。

14. Ho, Dio donu, ke tiun standardon neniam makulu homa sango!

(FT)
ああ、神よ、人の血でその旗を汚すことのないようにされんことを!
(UK)
*確認ですがke節の主語はどれですか?
(FT)
Ke節の主語は、sangoだと思います。
(UK)
**そうですね。Homa sangoだと思います。
(TM)
・・・はdonu の意味の中に  その結果をもたらす ともあるので    ああ、神よ。その旗が人類の血で決して汚されんことを!  
(UK)
その旗が人間の血で決して汚されぬことを!
「されん」は肯定のへりくだった言い方ですので、このままだと「汚されることをお祈りします」という意味になります。
否定の「ぬ」を使って「汚されないことを祈ります」という意味にすればよいと思います。
また「人類の血」よりは「人間の血」が適切かと思います。
(TM)
UKさん、私は最後の祈りの部分、肯定的に考えたことはないです。 「ん」は辞書を見ると ”打消しの助動詞「ぬ」” の 変化形となっています。 「ん」でよいのではないですか?
(UK)
TMさん「汚されんことを」というと文語的な言い方ですよね。文語的には「ぬ(ん)」は打ち消しではなく、意思の助動詞です。
「いざ行かん!」と言うときは「さあ、行きましょう!」となります。
(FT)
手持ちの新村出著「広辞苑第三版」(岩波書店)2588頁によりますと、(ちょっと古いですか)「ん」打消しの助動詞ヌの転。となっています。よって間違いではないけれども、UKさんの「汚されないことを」が無難なようです。
(UK)
最後の文は、結論から言えば、TMさんの説明が正解です。
したがって、「汚されんことを!」に戻しましょう。
たいへんお騒がせしました。お詫びいたします。
納得できなかったので、半世紀ぶりに国文法の復習をしました。
汚されんことを=汚さ+れ+む+こと+を
 汚さ:動詞「汚す」の未然形
 れ:  受け身の助動詞「る」の未然形
 む:  否定の助動詞「ず」の連体形
 こと:名詞
 を: 助詞 エスペラントのakuzativo -nと同じです。
私が挙げた例は異なる構造で
活躍されんことを<==活躍+なさ+れ+む+こと+を
 活躍:名詞
 なさ:動詞「なす」の未然形
 れ :尊敬の助動詞「る」の未然形
 む :推量の助動詞「む」の連体形
 こと:名詞
 を :助詞
(TM)
FTさん、最後まで頑張ってくださいました。 UKさん、文法の解釈良くわかりました。  知らずに使って(使い分けて)いましたがそうだったのですね。 この場でやり取り出来て良かったです。  言葉って面白いです!
(FT)
ああ、神よ、その旗が人の血で決して汚されんことを! 

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