テキスト:
Ĉaptro 4: Leciono en la parko p16/16~16/antaŭ lasta linio
Teksto:en la 16a paĝo, de la 16a linio ĝis antaŭ lasta;
Hodiaŭ estas grava tago en la urbo. La nomo de tiu ĉi tago havas ruĝan koloron en la rusa kalendaro. Sed nun ne sole en la kalendaro estas ruĝa koloro. Anakŭ la domoj havas ruĝan veston, ankaŭ la koro de la homoj havas ruĝan senton. Granda politika kunveno estas en la Popola Domo. La gelernantoj de la kurso staras antaŭ la pordo. La rusa politiko ne interesas ilin.
Ili ne estas rusoj. Nur sinjorino Bogatireva kaj du el la gimnaziaj lernantinoj: fraŭlinoj Smirnova kaj Tkaĉeva. La politiko ne estas sinjorina afero kaj la knabinoj ne komprenas ĝin. Nur sinjoro Kuratov, la maljuna poŝtoficisto pensas pri ĝi, sed li apartenas al malnova mondo. La nuna politiko ne plaĉas al li. Li ne parolas pri tio. Li servas fidele en la kontoro.
訳:
(UK)
今日は町の重要な日である。この日はロシア暦のなかで赤い色を持っている。しかし赤いのはいまやカレンダーの中だけではない。町の家々も赤い装いであり、人々の心は赤い熱情を持っている。人民会堂では大きな政治集会がある。エスペラント講習の生徒たちは扉の前に立っている。彼らはロシアの政治に関心がない。彼らはロシア人ではない。ロシア人はボガティレーバさんと中等学校生である二人、スミルノーヴァさんとトゥカチェーバさんだけである。政治は女性が関わることではないし、 少女たちにはわからない。
老いた郵便局員のクラートヴさんだけ政治に想いを馳せる。しかし彼は旧体制下の人である。彼には今の政治が気に入らない。彼はそのことには語らない。ただ事務室の中で誠実に働いている。
経過
1. Instruisto kaj lernantoj de la kurso
(UK)
Paŭlo Nadai: militkaptito, instruisto, hungaro;
Kuratov: poŝtoficisto, ruso; La personan nomon mi ne trovis.
Bogatireva: sinjorino, ruso; La personan nomon mi ne trovis.
Ernst Mayer: rusa soldato, germano;
Janis Lekko: rusa soldato, latvo;
Pavel Budinka: ĉeĥa soldato, ĉeĥo;
Adrian Berariu: rumana soldato, rumano;
Petro Koluŝ: amerika soldato, slovako;
Marja Bulsk: gimnazia lernantino, polo;
Eŭgenia Tkaĉeva: gimnazia lernantino, ruso;
Valja Smirnova: gimnazia lernantino, ruso;
Ivan Averkiev: knabo, ruso;
Iĉio Pang: knabo, ĉino.
2. この物語はいつの話か?
(UK)
日本軍がシベリア出兵したのは10月革命の後(1918年3月)、チェコ軍を共産主義から救うという大義名分を掲げていたようです。日本国内の収容所(主としてドイツ人捕虜)がすべて閉鎖されたのが1920年4月なのでKuratovが日本の収容所にいたのは最長で1918年前半~1920年前半になるでしょう。
しかしMarjaの日記とNadaiの帰国が1920年であることから、その時には帰っていたことがわかります。なおベルサイユ条約(1919年)に基づき、各国軍は1920年くらいまでに順次撤兵していきますが、日本軍は1922年まで居座ります。この物語のときは日本軍がシベリアにおり、そのことがこの物語にも影響を及ぼします。
一方Nadaiが捕虜になったのは10月革命(1917年11月)以前と思われます。なぜなら中央同盟側のハンガリーと戦っていたのは帝政ロシアだからです。革命後のロシア(ソビエト)はドイツと単独講和を結び連合国から抜けます。また社会主義国家となることで連合国側と対立しました。 そしてNadaiが帰国するのは1920年かそれ以降になります。
これらのことからこの物語は1918年か1919年の出来事であると思いますが社会主義国家が確立しているようなので1919年である公算が大です。
捕虜生活は辛そうですが、息子が捕虜になったと知ると母国の両親は喜んだそうです。捕虜の方が生き残れる可能性が高かったためです。ドイツの資料館にそう記述された文書が残っているそうです。
3.物語の舞台はどこか?
物語の舞台NikolskはVladiostokに近い、という記述が出てきます。
Nikolskはロシアに2つありますが、いずれもVladiostokからは遠く離れています。しかし第10章のタイトルがヒントになります。その町は以前Nikolsk Ussurijskと呼ばれ、いくつかの変遷を経て、現在はUssurijskと呼ばれていることがわかりました。ここなら2つの都市間はおよそ100kmであり、物語の内容に合致します。
Nadaiの暮らした収容所、人民会堂があった場所やMarjaが住んでいたKitajskaja通りを探してみましたがみつかりませんでした。キタイスキー・リノクというショッピングモールがあるのでその近くかもしれません。
Nadaiは船で帰国します。もし北回りの航路が可能であったなら南回りよりずっと近い距離になります。
5. Anakŭ la domoj havas ruĝan veston, ankaŭ la koro de la homoj havas ruĝan senton.
(UK)
家並みも赤く彩られ、人々の心もまた赤く染まっている。
(TH)
町の家々も赤い装いであり、さらに人々の心は赤い熱情を持っています。
(KTA)
心が「赤い熱情」と「赤く染まる」は若干違う気がします。
①舞台がロシアという事もあり「赤」という言葉に対しての印象は「共産主義」などが思い浮かびます。そうではなく、
②何かに対して心の底に煮えたぎっているものが湧き出ている状態を表現するための「赤」
③ただ単に休日だから嬉しいく感じることを表現した
(UK)
ここの赤は文脈からして共産主義の赤です。暦の祝日を表す赤と共産主義の赤を掛けています。人々の心も共産主義になってしまった(あるいは熱心な共産主義者であることを表明している)ということを赤で表しています。
このすぐあとに出てくるクラトヴの発言からも「色」で人々の思想・感情を表現していることがわかります。革命前はそのときどきの政治に応じてさまざまな色を持っていた人々が無節操にも一気に赤になってしまったのが気に入らないのです。
(TH)
ruĝan senton について、 新政府の革命記念日、中国の毛沢東語録は赤い表紙でした。
La verda koro の作者ユリオ バギさんは、共産主義国家を誕生間もない時代背景を表現していると思います.
僕は単純に、祝日で特別な日なので人々はウキウキ気分。 sentoは感覚・気持ち:にウキウキを足して熱情にしました。
(AM)
「赤い情熱」「赤く染まっている」の件についての私の意見
時代は1919年ということが、UKさんの言及で分かりました。共産主義の時代の早期でしょうか。私が若い頃に見た共産主義圏のニュースでは、常に赤い旗でうめつくされて人々が熱狂している場面がでてきたものです。その後も毛沢東の中国、今でも習近平や金正恩などがあらわれる場面に名残がみられます。という経験を持つ者には、どちらの表現も違和感なく理解できます
(KTA)
「赤」について
THさん、UKさん、AMさん、FTさんのご意見興味深く読ませて頂きました。
その様な中、『何故「赤」なの?』という疑問が生じました。
そこで、ウィキペディアで「ロシア革命」を検索しました。
その中で初めて色について書かれている部分がありました。
「白」、「緑」、「赤」
どれもその当時の軍旗から人々が言い出したものと理解しました。
ごちゃごちゃな時代だったんですね。(読んでいて解らなくなりました)
ソビエト政府が創設した軍隊の軍旗が「赤」を基調としたものでした。
因みに
白軍
1917年以降のロシア革命期における革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊
緑軍
ロシア革命後のロシア内戦の時期に旧ロシア帝国領内外で活動した、農民やコサックを中心とした非正規の軍事組織の通称
しかし、それ以上「赤」については書かれていません。
何故、軍旗を「赤」を基調としたのか?
解決するには専門書しかないのか?などと思いつつ終了します。
(FT)
複数に対する質問です。分かっているようでわかっていないので、質問させてください。Ankaŭ la domoj 複数の場合、jを付けのことになっています。
つかないものとして、「物質名詞・抽象名詞」については、切れ目や境目が明らかでないものや概念を表すものなので、複数語尾は尽きません。
物質名詞の例 aero akvo salo 塩、sukero砂糖、 vinagro酢
抽象名詞 amo kolero libero
(UK)
FTさんの疑問 Ankaŭ la domoj…に対する私の考えです。
ここで指しているdomojは見える範囲のすべての家です。おそらく町のすべての家も同様でしょう。
この重要な日がもしロシア革命の記念日だとすれば、11月7日です。 しかしこの物語からしてそれほど寒い時季ではなさそうなので別の記念日ですね。いずれにしても、政府にとっての記念日であれば町のどの家にもその印が掲げられると思います。赤い旗か、赤い垂れ幕か何か赤いものです。
なお調べたところ、1919年末のロシアは対外的にも内政的にもまだまだ戦争状態です。実際、翌1920年にもパルチザンによる無差別虐殺事件や日本軍との間で戦闘が起こります。
(KTA)
kronvirusoまたは、koronviiso について
物質名詞・・一定の形を持たない、数えられない名詞と説明されているものが大部分です。
違った視点から説明すれば
その言葉を使って、その時の状況を考え、何を表現したいかによる
kronvirusoまたは、koronviiso を一般的なニュースや普段の会話で使う場合はただ単にウィルスという人間と区別できる総体を表現したいので単数、
逆に、細菌研究所などでウィルスを扱う人々が、仕事上又は専門的な会話の中で細胞などといった専門用語を用いて個体を表現したい場合に2以上を表現したい場合には複数
この場合、個体としてウィルスを表現する場合に、普段の会話と区別する方法としては文脈で判断するしかないのかも。
というのが私の意見です。
(AM)
文法上の数
1)単数singularo:単数の物、事を表すには、そのまま何もつけない。 patro, afero
2) 複数pluralo:一つ以上のもの、事をあらわす場合、語尾-j を付ける。patroj kaj filoj
他に接辞ge-を付ける gefratoj,
準接尾辞-ar を付ける arbaro
ただし、ge-は複数形にするが、-ar は同じ物の集合体なので集合名詞と考え、-j はつかない。
しかし、複数形として認識される。
Via idaro estos fremduloj en lando, kiu ne apartenos al ili.
集合名詞とみなされる単語でも、複数として扱われる場合がある:
La popolo malpacis kontraŭ Moseo, kaj ili diris…
数の使用法
数の観点からいうと、-aĵ の付いた名詞はそれが単数を意味するか、複数かによって決まる。
1)pli ol unu の後には、たった一人ではないと強調したいのであれば、単数を使う。
Tiun esprimon oni trovas ĉe pli ol unu aŭtoro.
(= `ĉe pli multaj aŭtoroj ol unu aŭtoro).
そうでなければ、 pluraj aŭtoroj を使う。
2)複数の物で構成されているものを、複数形で示す。
la okulvitroj *vitroはガラスで物質名詞で数えられないが、この造語で眼鏡を意味する。 la analoj(kroniko)
analoはふつう複数で使われ、年代記を表す。
*paperoという物質名詞が paperoj となると書類になるのもこの例。
ただし、pantalono は単数で。
*英語を学んだ人はこれにまごつく。「例外」だ!と。
3)複数の人がひとつづつ所有するものについては、単数で表す。
La laboristoj levis la kapon. (ne kapojn)
複数の人や物が共通の一つの物を持っているか、それぞれが所有しているのかはっきり示すには、ĉiu を使う。
Tiuj riveroj havas ĉiu sian fonton en la altenenaĵo.
ここで使われている ĉiu は代名詞ではなく、形容詞として使われている。
集合を表す。
1)集合を表す接辞、ge-, -arを使う。
2)複数形で表す。niaj militisto
3)集合名詞を単数形で表す。
popol, gento, nacio, lando, armeo 宗教に関する表現、詩などでは例外あり。
klaso, kategorio, raso, gento, specoなどを表す時には、単数形をもちいるのがよい。
文中に*で入れてあるのは、AMの注釈です。
以上Nombrojの項目をざっと書き抜きました。
ここではエスペラントの複数の考え方の基本が書かれていると思います。
物質名詞では数える必要がある場合には、質量の単位をつかいます。
papero の場合
1 folio da papero , 2folioj da papero, 2 kilogramoj da papero, 3 pakoj da papero
du kuleroj da salo, 100 gramoj da sukero, 2 boteloj da vinagro
漠然という時には、iom da salo, 、multe da akvo など
こんな言い方もあるのではないですか。
manpleno da amo, iom da amo
koronviruso は科学上の質量単位があるかもしれません。Unu koronviruso povus mortigi pli ol 7 homojn, se ĝi sukcese vojaĝus inter homoj.
なんて、コロナウイルスの顕微鏡写真を見ていると思ってしまいます。
(誰の発言か?)
(UK)
いま輪読中の”La Verda Koro”のテキストの中にAMさんがお持ちの本で確認していただきたいところがあります。
第4章の公園での授業の場面です。千田さんが訳す次のあたり、おそらくFTさんの当番になるあたりです。こちらのテキストでは17ページの12行目あたりからです。
Kuratovの言葉:
・・・Mi ne havas koloron.
Smirnova(?)の言葉:–>Marja Bulski ではないか?
— Nu, sinjoro Kuratov, vi ne diras la puran veron. Ankaŭ vi havas koloron, kiun vi pli ŝatas. Via koloro estas la verda. Ĉu ne? — Per tiu parolo fraŭlino Smirnova tuŝas malfortan punkton de la maljuna sinjoro.
ここでKuratovも緑の色を持っていると指摘したのは、私がネットで見つけたこのテキストでは”Fraŭlino Smirnova”となっています。ここは”Fraŭlino Marja Bulski”でないとつじつまが合わないと思うのですが、AMさんがお持ちの本でも”Smirnova”になっているでしょうか。
根拠は2つあります。
1つは、Baghyは伏線もなくいきなり人物評をするようなことはしないという点です。SmirnovaがこれまでのところでKuratovについて考えたり観察したりしている場面はありません。
それに対してMarja Bulskiは第2章で授業後の教室でNadaiとKuratovの会話を観察しており、言葉はわからないながらも2人の眼に平和な感情が流れているのを観察しています。そして2人がある種の共通点を持つ人たちであることを見て取ります。
もう1つは、Kuratovの捕虜体験の話のが始まるきっかけになった次の場面です。
Kuratovの言葉:
— Kial mi estas esperantisto? Kion mi respondu al vi, fraŭlino Marja Bulski? Vi diris, mi havas karan koloron. Ĝi estas la verda koloro. Vi tuŝis veran punkton.
ここではKuratovが好きな色は緑だと言ったのはMarja Bulskiだということになっています。 こちらが間違っているというよりは前のSmirnovaの方が間違っていると考えた方がつじつまが合います。
(AM)
例のところは、私の持っている本でも、Per tiu parolo fraŭlino Smirnova tuŝas,,,となっています。しかしこの後に出てくる部分では、
-Kial mi estas esperantisto? Kion mi respondu al vi, fraŭlino Maria Bulski? Vi diris, mi havas karan koloron. Ĝi estas la verda koloro.. Vi tuŝis veran punkton.
とKuratovが言っていますから、Baghy の勘違いではないでしょうか。UKさんがあげている2つの根拠に、私は納得します。
関係者全員にこのメールを送って、ここはMaria Bulski の言葉であるとしましょう。
この章の後半は内容が深くて、訳すのに難儀しそうです。同時にエスペラントの奥深さにふれることができるというものですが。