LaVerdaKoro_059

テキスト

La suno ankoraŭ varme brilas, sed la aŭtuna vento jam portas kun si la spiron de la proksimiĝanta vintro. Polvonuboj, pelataj de la vento, dancas, kuras, jen ekkuŝas, jen denove levas sin sur la stratoj.
La grandaj militkaptitejoj iom post iom senhomiĝas, La esperantaj societoj senmembriĝas. La vivo estas malpli vigla. En Oktobro preskaŭ ĉiusemajne alvenas ŝipoj kaj adiaŭaj kunvenoj fariĝas pli oftaj. Sed la malnovaj geamikoj, escepte la forirantaj Koluŝ, ankoarŭ estas kune. Nur Sunfloron oni ne povas vidi. Depost tiu tago neniu vidis ŝin, onidire eĉ ne ŝia patro. Kien ŝi malaperis? Kiu sciis?
La maljuna ĉino lignovizaĝe, ŝajne indiferente sidas sur la strato antaŭ la pordo de sia komercejo kaj pipfumas, kvazaŭ nenio estas okazinta. Surda homo estas filozofo. Li aŭskultas, sed jam ne plu aŭdas la matenan koncerton: la ĉinaj soldatoj vane trumpetas por li en la kazernoj. Li aŭsklutas la vesperan koncerton: la kanto kaj muziko de la ĉinaj aktoroj en la teatro ne plu atingas liajn orelojn. Li nur sidas kaj pipfumas.
En la militkaptitejo multaj kazernoj staras malplenaj. Nadaj ne instruas plu. Li regule vizitas la kunvenonjn kaj courage pasigas kelkajn horojn kun la geamikoj, kiujn li baldaŭ estas forlasonta. Marja kaj Lekko instruas fervore. Marja havas turmentajn tagojn. Ŝia taglibro estas plena de plendaj kaj ribelaj pensoj. Ŝi havas nur unu esperon, ke en ĉi jaro jam ne plu venos ŝipo por la militkaptitoj kaj nur printempe povos foriri tiuj, kiuj restis en la kazernoj. Oni diris tion. Ankoraŭ unu vintro, printempa vintro por ŝi. Poste ja venos vintraj printempoj. Ŝi sentas tion. Ho, se ŝi povus haltigi la tempon!
Sed la tempo estas nehaltigebla, la sorto estas senindulga. En iu mateno telegram alvenas al la komandanto de la militkaptitejo kaj denove por sescent hejmosopirantoj ĝi realigas la milfoje prisonĝitan revenon al la patrolando… Kaj Nadaj estas inter ili.

(FT)
太陽は、いまだ暑く照っています。しかし、すでに秋の風が近づいている冬の息吹を、風とともにもたらしています。風によって追い立てられた路上のちり雲は、踊り、走り、ほら横たわり、ほら、路上に立ち上がっています。
その大きな捕虜収容所は、だんだんと人がいなくなっており、エスペラント会は、会員がいなくなっています。生気は以前より活発ではありません。10月には、ほぼ毎週、船が来て頻繁に別れの会が開かれています。しかし、去っていったコールスを除いて 、古い友人たちはいまだに一緒です。ただ、(人は)スンフローロを見ることが出来ません。あの日以来、誰も彼女(スンちゃん)を見ていませんでした。噂では、彼女の父でさえ見ていないとのことです。彼女はどこへ消えたのか。誰が知っているのか。年老いた中国人が無表情な顔をして、道路上にある自分の店の戸の前にいつものように、座っている。そして、パイプを吹かしています。あたかも何ごとも起らなかったかのように。耳の聞こえない人は達観者です。彼は、耳を傾けているけれども朝のコンサートが聴こえているわけではありません。つまり、中国の軍人たちは、彼のために兵舎内で、むなしくトランペットを吹いているのです。彼は、夕方のコンサートを聴いています。つまり、劇場での中国の役者の歌と音楽は、もう彼の耳には届いていないのです。彼はただ座って、パイプを吹かしているのです。
兵士収容所の中の、多くの兵舎は、空っぽでした。(兵士がいない)ナダイはもはや教えていません。彼は、規則的に会合を訪ずれそして、彼がまもなく去って行こうとする、男女の友人達とともに 毎日幾時間を過ごします。マリアとレッコは、熱心に教えています。マリアはつらい日々を過ごしています。彼女(マリア)の日記は、嘆きと反逆の考えで溢れています。彼女は、ただ1つの希望をもっています。それは、捕虜のための船が今年これ以上来なくて、そして捕虜が兵舎に残っている捕虜たちが、ただ、春になって去って行くこが出来るのを望んでいるのです。そういう噂でした。まだひと冬です。彼女のための春めいた冬なのです。 その後で、冬めいた厳しい春がやってくるのです。ああ、もし、彼女が、時を止めることが出来るならばいいのに。
しかし、時は止めることはできなく、運命は、容赦しません。ある朝に、捕虜収容所の司令官あてに、電報が来て、そして、それ(電報)は、改めて故郷を思う600人の捕虜にとって、千回も夢見た母国への帰還を夢を実現するためのものです。そして、ナダイは、その人たちの中の一人です。

経過

  1. Adiaŭ Siberio 

(FT)
シベリアをさらば。
(AM)
 「シベリアよ、さらば。」 ではいかがですか。
(FT)
シベリアよさらば。

  1. La suno ankoraŭ varme brilas, sed la aŭtuna vento jam portas kun si la spiron de la proksimi ĝanta vintro.

(FT)
太陽は、いまだ暑く照っています。しかし、すでに秋の風が近づいている冬の足音を、風とともにもたらしています。
(AM)
spiroは足音ですか。
(FT)
太陽は、いまだ暑く照っています。しかし、すでに秋の風が近づいている冬の息吹を、風とともにもたらしています。

  1. Polvonuboj, pelataj de la vento, dancas, kuras, jen ekkuŝas, jen denove levas sin sur la stratoj.

(FT)
冬の動いているチリ雲は、踊り、走り、ほら横たわり、ほら、路上に自分を再び持ち上げている。
(AM)
pelataj per ventoをちゃんと訳してください。lrvi sin -levigxi 立ち上がる、浮かび上がる   jen,,,jen,,,kaj jen,,,、踊ったり、走ったり、よこたわったり、はたまた浮き上がったり、と様々な動きをしている様を表現するのに使います。このチリ雲はなんでしょうね。
(FT)
風によって動かされたちり雲(イワシ雲?)は、踊り、走り、ほら横たわり、ほら、路上に立ち上がっています。
(AM)
peli 追い立てる
(FT)
風によって追い立てられた路上のちり雲は、踊り、走り、ほら横たわり、ほら、路上に立ち上がっています。 

  1. La vivo estas malpli vigla. En Oktobro preskaŭ ĉiusemajne alvenas ŝipoj kaj adiaŭaj kunvenoj fariĝas pli oftaj.

(FT)
命はほとんど活気がありません。10月には、ほぼ毎週、船が来て頻繁に別れの会が開かれています。
(AM)
La vivo estas malpli vigla. mal pli だから、「以前より」という感じでしょうか。「以前ほど活気がありません。」ではどうでしょうか。
(AM)
日本語としては、ここで la vivo を「命」と訳すとしっくりこない気がします。生気がないということなのだと思いますが。
(FT)
生気は以前より活発ではありません。10月には、ほぼ毎週、船が来て頻繁に別れの会が開かれています。

  1. Sed la malnovaj geamikoj, escepte la forirantan Koluŝ, ankoraŭ estas kune.

(FT)
しかし、去ったコールスを除いて 、古い友人たちもまた一緒です。
(AM)
foriranta です。foririnta ではありません。 ankoraux にもご注意。
(FT)
しかし、去ろうとしているたコールスを除いて 、古い友人たちはいまだに一緒です。
(AM)
foriranta は foririntaではないといいましたが、この話の後にくる部分のforiranta の使いかたを見ると、コルシュはもう帰国の途についているようです。 だから「去っていった」でよいかと思います。  
(FT)
しかし、去っていったコールスを除いて 、古い友人たちはいまだに一緒です。

  1. Nur Sunfloron oni ne povas vidi. Depost tiu tago neniu vidis ŝin, onidire eĉ ne ŝia patro. Kien ŝi malaperis? Kiu sciis?

(FT)
ただ、(人は)スンフローロを見ることが出来ません。あの時以来、誰も彼女(スンちゃん)を見ていませんでした。彼女の父でさえ見ていないとのことです。彼女はどこへ消えたのか。誰が知っているのか。
(AM)
epost tiu tago に注意。onidireも訳しましょう。噂では。
(FT)
ただ、(人は)スンフローロを見ることが出来ません。あの日以来、誰も彼女(スンちゃん)を見ていませんでした。噂では、彼女の父でさえ見ていないとのことです。彼女はどこへ消えたのか。誰が知っているのか。

  1. La maljuna ĉino lignovizaĝe, ŝajne indiferente sidas sur la strato antaŭ la pordo de sia komercejo kaj pipfumas, kvazaŭ nenio estus okazinta.

(FT)
年老いた中国人が木の顔をして、道路上にある自分の店の戸の前にいつものように、座っている。そして、パイプを吹かしています。あたかも何ごとも起こっていないかのように。
(AM)
lignovizagxe ふさわしい訳はありませんか。 sxajne indiferente 無関心な様子で  okazinta -inta です。起こらなかったように ここはkvazaux を使った仮定法なので、kvazaux nenio estus okazinta
(FT)
年老いた中国人が無表情な顔をして、道路上にある自分の店の戸の前にいつものように、座っている。そして、パイプを吹かしています。あたかも何ごとも起らなかったかのように。
(AM)
よい訳文だと思います。

  1. Surda homo estas filozofo. Li aŭskultas, sed jam ne plu aŭdas la matenon koncerton: la ĉinaj soldatoj vane trumpetas por li en la kazernoj.

(FT)
路上の人は哲学者です。彼は、しかし、もはやさらに朝のコンサートを聴くことがなく、中国の軍人たちが彼のために兵舎内で、むなしくトランペットを吹くのを聴くことがないということを聞いています。
(AM)
surda homo はどんな人でしょうか。この文全体が何を言っているのかわかりません。もう一度考えてみてください。
(FT)
路上の人は達観者です。彼は、「しかし、もはやこれ以上、コンサートをきくことがない。つまり、中国の軍人たちが、彼のために兵舎内で、むなしくトランペットを吹くコンサートを聴くことがない」ということを聞いています。
(AM)
Surda homo 耳の聞こえない人 、auxskulti とauxdi を使い分けています。彼は耳を傾けているけれど、朝のコンサートが聞こえているわけではない。つまり中国の軍人たちは兵舎で彼のためにむなしくトランペットを吹いているのだ。
(FT)
耳の聞こえない人は達観者です。彼は、耳を傾けているけれども朝のコンサートが聴こえているわけではありません。つまり、中国の軍人たちは、彼のために兵舎内で、むなしくトランペットを吹いているのです。

  1. Li aŭskultas la vesperan koncerton: la kanto kaj muziko de la ĉinaj aktoroj en la teatro ne plu atingas liajn orelojn. Li nur sidas kaj pipfumas.

(FT)
彼は、夕方のコンサートを聴いています。つまり、劇場内の中国の役者の歌と音楽をはや、彼が耳にすることないことを。
(AM)
つまり劇場での中国の役者の歌と音楽はもう彼の耳にはとどいてないのです。 この文の前の文がその事情を説明しています。
(FT)
彼は、夕方のコンサートを聴いています。つまり、劇場での中国の役者の歌と音楽は、もう彼の耳には届いていないのです。
(AM)
Li nur sidas kaj pipfumas.をお忘れです。
(FT)
彼は、夕方のコンサートを聴いています。つまり、劇場での中国の役者の歌と音楽は、もう彼の耳には届いていないのです。彼はただ座って、パイプを吹かしているのです。

  1. Li regule vizitas la kunvenonjn kaj courage pasigas kelkajn horojn kun la geamikoj, kiujn li baldaŭ estas forlasonta.

(FT)
彼は、規則的に会合を訪ずれそして、彼がまもなく去って行こうとする、男女の友人達とともに 勇気づける幾時間を過ごします。
(AM)
courage というのは誤植で、cxiutage です。 kiujn li baldaux estas forlasonta 彼がまもなく離れていこうとしているgeamikoj
(FT)
彼は、規則的に会合を訪ずれそして、彼がまもなく去って行こうとする、男女の友人達とともに 毎日幾時間を過ごします。

  1. Ŝi havas nur unu esperon, ke en ĉi jaro jam ne plu venos ŝipo por la militkaptitoj kaj nur printempe povos foriri tiuj, kiuj restis en la kazernoj.

(FT)
彼女は、ただ1つの希望をもっています。それは、捕虜のための船が今年これ以上来なくて、そして捕虜が兵舎に残って、ただ、春に去って行くであろうことを希望しています。
(AM)
兵舎に残っている捕虜たちが春になってから去っていけるようにと
(FT)
彼女は、ただ1つの希望をもっています。それは、捕虜のための船が今年これ以上来なくて、そして兵舎に残っている捕虜たちが、ただ、春に無事去って行くことを希望しています。
(AM)
nur printempoe 冬ではなくて春だけに、という意味なので、「春になってから」ではどうでしょうか。「無事に」は入っていません。povosもいれましょう。細かいですが。
(FT)
それは、捕虜のための船が今年これ以上来なくて、そして捕虜が兵舎に残っている捕虜たちが、ただ、春になって去って行くこが出来るのを望んでいるのです。

  1. Oni diris tion.

(FT)
人はそのことを言っていました。
(AM)
onidiro は噂。 そういう噂でした。
(FT)
そういう噂でした。

  1. Poste ja venos vintraj printempoj. Ŝi sentas tion. Ho, se ŝi povus haltigi la tempon!

(FT)
後で、まさに、冬めいた春がやってくるでしょう。ほう、もし、彼女が、時を止めることが出来るならば、
(AM)
printempa vintro, vintraj printempoj は象徴的な表現。Ankoraux unu vintro あと一冬あります。彼女にとっては春のような冬。そのあとに冬のような厳しい春が来ます。何をさしてそう表現しているのか考える必要があります。
(FT)
その後で、冬めいた厳しい春がやってくるのです。ほう、もし、彼女が、時を止めることが出来るならばいいのに。
(AM)
Ho ここでは、悲しみゆえの、「ああ」でしょうか。
(FT)
その後で、冬めいた厳しい春がやってくるのです。ああ、もし、彼女が、時を止めることが出来るならばいいのに。

  1. En iu mateno telegram alvenas al la komandanto de la militkaptitejo kaj denove por sescent hejmosopirantoj ĝi realigas la milfoje prisonĝitan revenon al la patrolando…

(FT)
ある朝に、捕虜収容所の司令官あてに、電報が来て、そして、それ(電報)は、600人の捕虜に対して、母国に向かう万回も閉じ込めた夢を実現させるのです。
(AM)
milfoje prisongxitan revenon al la patrolando milfojeですね。prisongxitaは「閉じ込めた」ではないですね。hejmsopirantojもお忘れなく。
(FT)
ある朝に、捕虜収容所の司令官あてに、電報が来て、そして、それ(電報)は、600人の捕虜に対して、母国に向かう万回も閉じ込められた夢を実現させるのです。
(AM)
それ(電報)は改めて故郷を思う600人の捕虜にとって、千回も夢見た母国への帰還を実現するものなのです。
(FT)
ある朝に、捕虜収容所の司令官あてに、電報が来て、そして、それ(電報)は、改めて故郷を思う600人の捕虜にとって、千回も夢見た母国への帰還を夢を実現するためのものです。

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