テキスト
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La strato Graniczna estas unu el la sufiĉe vivoplenaj stratoj de Varsovio.
Antaŭ kelke da jaroj, en tre bela aŭtuna tago, tra tiu strato iris kaj veturis multe da homoj, el kiuj ĉiu rapidis aŭ al siaj aferoj, aŭ al plezuro, ne rigardante flanken, nek dekstren nek maldekstren, kaj tute ne atentante tion, kio fariĝas en la profundo de unu el la kortoj, kiuj kuntuŝiĝas kun tiu strato.
Tiu korto estis pura, sufiĉe vasta, de kvar flankoj ĉirkaŭita de altaj masonitaj konstruaĵoj. La konstruaĵo, kiu staris en la profundo, estis la plej malgranda, sed laŭ la grandaj fenestroj, la larĝa eniro kaj la bela perono, kiu ornamis tiun eniron, oni povis konkludi, ke la loĝejoj, kiuj tie troviĝas, estas komfortaj kaj belaj.
Sur la perono staris juna virino en funebra vesto kun tre pala vizaĝo. Egale pala kaj ankaŭ funebre vestita kvarjara knabineto alkroĉiĝis al ŝiaj manoj, kiuj, kvankam ne perdinte sian forton, pendis tamen velke, donante al la figuro de la virino la eksteraĵon de granda malĝojo kaj sufero.
訳
(KT)
開始位置: 7頁2行目から
グラニチュナ通りは、ワルシャワの中でも充分に活気に満ちた通りの 1 つである。数年前、とてもよく晴れた秋の日に、多くの人がその通りを行き交い、車で通り抜けたりしていた。彼らはそれぞれ、脇目も振らず、右も左も見ずに、自身の仕事や楽しみに急いでいた。その通りに隣接する中庭の中の一つの奥で何が起こっているかには全く注意を払っていない。
その中庭は清潔で、充分に広く、四方を高いレンガ造りの建物で囲まれていた。
その奥に建つ建物は最も小さいものだったが、大きな窓、広い玄関、そしてその玄関を彩る美しい外階段を見ると、そこにある住居は快適で美しいと結論づけることができた。
外階段には、とても青白い顔をした、喪服を着た若い女性が立っていた。同じように青白く、喪服を着せられた4歳の小さな女の子がその女性の手にしがみついていたが、その女性の手は力を失ってはいなかったものの、だらりと垂れており、その女性の姿に大きな悲しみと苦しみの様相を与えていた。
経過
1. La strato Graniczna estas unu el la sufiĉe vivoplenaj stratoj de Varsovio.
(KT)
グラニチュナ通りは、ワルシャワの中でも充分に活気のある通りの 1 つである。
(TM)
vivoplena :::せっかくなので plenaも訳しましょう。
(KT)
グラニチュナ通りは、ワルシャワの中でも充分に活気にあふれた通りの 1 つである。
2. Antaŭ kelke da jaroj, en tre bela aŭtuna tago, tra tiu strato iris kaj veturis multe da homoj, el kiuj ĉiu rapidis aŭ al siaj aferoj, aŭ al plezuro, ne rigardante flanken, nek dekstren nek maldekstren, kaj tute ne atentante tion, kio fariĝas en la profundo de unu el la kortoj, kiuj kuntuŝiĝas kun tiu strato.
(KT)
数年前、とてもよく晴れた秋の日に、多くの人がその通りを行き交い、車で通り抜けたりしていた。彼らはそれぞれ、脇目も振らず、右も左も見ずに、自身の関心事に急いでいた。その通りに隣接する中庭の中の一つの奥で何が起こっているかには全く注意を払っていない。
(TM)
*ahu ~ ahu ~ を訳しましょう。(自身の関心ごとには間違いないのですが。) *kuntusihjas----隣接する 良い訳ですね。
(KT)
数年前、とてもよく晴れた秋の日に、多くの人がその通りを行き交い、車で通り抜けたりしていた。彼らはそれぞれ、脇目も振らず、右も左も見ずに、自身の仕事や楽しみに急いでいた。その通りに隣接する中庭の中の一つの奥で何が起こっているかには全く注意を払っていない。
3. Egale pala kaj ankaŭ funebre vestita kvarjara knabineto alkroĉiĝis al ŝiaj manoj, kiuj, kvankam ne perdinte sian forton, pendis tamen velke, donante al la figuro de la virino la eksteraĵon de granda malĝojo kaj sufero.
(KT)
同じように青白く、喪服を着せられた4歳の小さな女の子が彼女の手にしがみついていたが、その手は力を失ってはいなかったものの、萎れて(その女性の手に)かかっており、その女性の姿に大きな悲しみと苦しみの様相を与えていた。
(TM)
* 様子が良くわかる訳だと思います。 私はこの手の文が苦手なので「 おーすごいなー」と、感心しましたよ。 一つ一つの言葉の意味や文法的位置付けもできていました。
(AM)
同じように青白く、喪服を着せられた4歳の小さな女の子が彼女の手にしがみついていたが、その手は力を失ってはいなかったものの、萎れて(その女性の手に)かかっており、その女性の姿に大きな悲しみと苦しみの様相を与えていた。
力は失っていないけれど、萎れて垂れ下がっているこの手は誰の手なのでしょうか。
(TM)
私は青色部分の手は、母親の手がだらりと垂れていると考えました。
(UK)
…al ŝiaj manoj, kiuj, …
・kiuj 以下に女の子に関する記述はない
・pendi …(自)ぶら下がっている
(AM)
女の子がすがっているのは、al siaj manoj (再帰代名詞)
ではなく、al sxiaj manojですから、前文に出てきた、juna virinoの手ですね。
日本語訳では代名詞をいつも「彼女」とか彼」とか訳さないで、状況がはっきりしているときには、「その女性」とか「母親」とか訳してよいと思います。
(AM)
先ほどメールを送りましたが、KTさんの文法習得では、まだ再帰代名詞の使い方がはいっていないようです。
Mi amas min.
Mi amas vin.
Mi amas sxin.
文中の主語が1人称,2人称の場合は関係がわかりやすいので、問題はないのですが、
主語が第3人称になると、混乱が起こります。
Li amas min.
Li amas vin.
Li amas sxin.
Li amas ilin,
Li amas gxin.
ここまでは混乱はないですが、「彼が自分自身のことが好き」、つまりMi amas min.状態を言いたいとき、困ります。Li amas lin.で、よいではないかと思うかもしれませんが、この場合、2つの li は2人の人物がいることをさしています。
つまり、
Taro amas jiron, 代名詞にすると、Li amas lin. 2人の人物
それに対し、
Taro amas Taron (mem) 一人の人物、 の時に 字上符なしの 「si] 再帰代名詞を使います。 Li amas sin. 主語と同一の人物
第3人称が主語である場合に限って使われます。
Taro rigardas siajn manojn. 太郎は自分の両手を見つめます。
Venas Jiro.Taro rigardas liajn manojn. 次郎がやってきます。太郎は彼の(次郎の)両手を見ます。
Marta の文では
Knabino alkrocigxas al sxiaj manoj. この少女がしがみついているのは自分自身の手ではありません。
(UK)
問題の部分はスタイルを無視して書いてしまえば、次のような感じになるでしょうか。
Egale pala kaj ankaŭ funebre vestita kvarjara knabineto alkroĉiĝis al ŝiaj manoj.
La manoj de la virino pendis velke kvankam ili ne perdis sian forton.
La pendantaj manoj donis al la figuro de la virino la eksteraĵon de granda malĝojo kaj sufero.
つまりKTさんの訳は込み入ったを文体をうまくさばいたすばらしいものですが、ただひとつ読みようによっては
その手は=女の子の手は
萎れて(その女性の手に)かかっている=女の子の手が萎れて、その女性の手にかかっている
と言う風にとれてしまうということだと思います。
女の子についての記述はkiujの前で終わっており、あとはすべて母親についての記述です。
そこで誤解を避けるためには、たとえば、お二人のアドバイスを取り入れて
その手は→その女性の手は
萎れて(その女性の手に)かかっており→萎れて kaj/aŭ だらりと垂れており
とすると明快になるのではないでしょうか。
(KT)
同じように青白く、喪服を着せられた4歳の小さな女の子がその女性の手にしがみついていたが、その女性の手は力を失ってはいなかったものの、だらりと垂れており、その女性の姿に大きな悲しみと苦しみの様相を与えていた。